レポート
『助六初代 アメリカを行く〜北米太鼓会議2007〜 本編』
(べらんめえ67号より)

 


晴天の多いことでも有名なシアトル

 

 

助六初代がアメリカを行く〜北米太鼓会議2007〜レポート
1997年より隔年に一度行われている北米太鼓会議(以下「会議」)。北米の名だたるグループが一同に会し、情報交換と交流、技術習得を促す機会として、ロスアンゼルスにある日米会館が主催・運営している。

 その会議に今年8月9日〜12日、「助六太鼓」創始者四名のうち望月左武郎氏と宗家小林が訪問し、レクチャー&デモンストレーションおよびワークショップを行った(詳細日程および概要は前号の予告記事をご覧下さい)。今回の旅を企画・同行した立場からこの場をお借りして報告させて頂きます。

 メイン会場は、シアトル・ワシントン大学。シアトルは水と緑が美しい、イチローの活躍する街。毎年LAなどアメリカ西海岸で行って来た会議が開催地を移すのは初めてらしいが、前回同様の人数が全米やカナダそして日本から集結した。その数、九十三グループ、五百五十名を超える。

 到着したホテルで、アメリカの太鼓の父とも言われる田中誠一氏の大きな手と笑顔に迎えられる。続いて息子の竜馬くん、そしてアメリカ和太鼓界を牽引するプレイヤー、ケニー遠藤氏と千鶴子夫人。途端にほころぶ一同の頬。ケニー夫妻は日本で小林と共に演奏活動した日々も長い。田中氏は来日すると神田の事務所に立ち寄られ、親密な交流があるがアメリカでお会いすることは滅多にない。まして望月氏を交えてこのようなメンバーが一同に介すことなどこれまでなかった。忙しい公式スケジュールの合間を縫って、昼も夜も思い出話が尽きない。大学はダウンタウンから離れている上、会期中の行動範囲はホテルか大学に限られ、移動中も含めて四六時中話をしているので、シアトルの街並みが思い出せないほど濃密な四日間であった。

 この会議の屋台柱はデモンストレーション、ディスカッション、ワークショップ、コンサートである。残念ながら今回創始者全員での訪米が叶わなかったこともあり、当初我々はオブザーバー(見学者)での参加を予定していた。しかし、先方関係者から強い要望をいただき、レクチャー「助六太鼓の歴史」&デモンストレーション、ワークショップ指導を行うこととなった。

 

 


田中誠一氏、竜馬君、ケニー遠藤ご一家と

 

 

8月10日午後【助六太鼓の歴史とスペシャルデモンストレーション】
 できるだけ多くの参加者が聴講できるようにとの運営側のはからいで、同時に行われる予定をキャンセルしてこの一講座にしぼって行われたため、会場は開会式と違わぬ盛況ぶりであった。
まずは歴史の説明である。東京湯島の盆太鼓コンテスト歴代入賞者が、一つの新聞記事を発端に「新音太鼓」そしてさらに「助六太鼓」という東京で初の組太鼓として演奏活動を始め、またたく間に全国に名が知れ渡っていったこと。春雷(おろし太鼓)、白梅、祭、二段打ち・四段打ちなど助六の古典ともいえる名曲が歌舞伎囃子をモチーフにしたり、初代各氏による試行錯誤をくり返しながら発展していったことなどを要約して説明した。また、パネリストとして並んた田中、ケニー、望月、小林各氏からは、望月氏が1968年に助六太鼓として初めて訪米した際、田中誠一氏が毎晩熱心に通ってくるので根負けして手ほどきをしたという話や、その後田中氏が太鼓修行で来日した際、いかに小林が厳しく恐い存在だったかなど、ユーモアも交えて当時の話が紹介された。北米の太鼓のルーツとなる数々のエピソードは日本でも滅多に耳にすることはないため、北米の太鼓打ちにとっては全てが初めて聞く話ばかり。皆一様に興味と尊敬の入り交じった表情で聞き入っていた。続いて大スクリーンに初期の写真を映した際には、時代を感じさせる映像の数々に会場がどっと湧いた。中には30年前に小林が指導した北米チームとのスナップに少女時代の自分を見つけて歓声を上げる人も。また、助六流斜め台がなかった時代から改良された台が使われている時代への変遷も見て取れ、話に加えてこれらの写真が如実に歴史を物語っていた。

 質疑応答では、助六の曲の一部使用や助六流斜め台の使用について質問が出た。小林は、斜め台の使用は大いに結構だが、演奏曲に関しては各グループがオリジナル曲を創り演奏することが望ましい、助六のレパートリーを演奏したい場合にはそれ相応の直接指導を受けるべき、と理解を求めた。腰を据えた“教える”“教わる”関係こそが、曲の技術と精神とを正当に伝え、芸を伝えることになると小林は信じている。曲に魅力があるからこそ演奏してみたいと思う一般の心情は理解できるが、映像などから形だけ模倣することは逆に曲自身の価値を損なうものである。なかなか理解されにくく、逆に誤解を受けがちな考え方かもしれない。だからこそ、今回のように直接対話をし、演奏し、指導をしに行ったということは、小林の考えを理解してもらう上でも非常に意義深いことであった。

 続いて、観客が一番気になっていたという、デモンストレーションである。
当初、日本から訪問した3名で演奏する予定であったが、前夜の秘密会合(?!)の結果、田中氏が初っきり太鼓を打ち、望月氏の小鼓にケニー氏が小鼓で呼応し(彼は望月流始まって以来の、外国人名取りである)、その後「白梅」を小林・望月・座古で、続いてケニー氏と千鶴子さんが加わり「祭」を、最後に「乱れ打ち」という構成となった。一度限りの『豪華スペシャルユニット』である。田中氏が打ち出すなり会場内は張り詰めた熱い眼差しで埋め尽くされ、30分弱の演奏が終わるややんややんや喝采の嵐であった。宗家と10数年ぶりに演奏するというケニー夫妻の「祭」も、助六太鼓の十八番であるこの曲を体のすみずみに染み込むほど共有して来たプレイヤーならではのセッションとなった。望月氏の袴姿での乱れ打ちにも盛んにフラッシュがたかれた。新旧助六関係者によるこのセッションは、会議の開催中、常に話題に登っていた程強烈な印象を残したようで、もっと見たい、最新の演奏を見たい、と大江戸助六太鼓のDVDを買い求める人も多かった。

 

 


笑顔で思いで話しを披露する宗家

 

 


拍手に沸く会場:デモンストレーションにて

 

 

 翌11日の午前と午後各二時間半、小林・望月両氏のワークショップがそれぞれの会場で行われた。

【ワークショップ「大江戸助六流打法 盆太鼓」小林正道指導】
30名の参加者に対しアメリカで主流の樽の太鼓22カンが斜め置きで用意された。大きさもまちまちだが、別会場で同時に20クラス程実施されている中で、これだけの数が揃う格別な待遇には感謝!である。乱れ打ちの基礎となる盆太鼓を指導した。参加者の太鼓経験は様々だが皆熱心で吸収が早い。前日のデモンストレーションに感動した、と5時間ずっと熱心にメモを取る見学者も数人いた。講座の最後には習ったばかりの手事を2グループに分かれて発表した。

【ワークショップ「祭囃子」・「歌舞伎囃子」望月左武郎指導】
受講生は各18名。午前の講座には締太鼓が人数分用意された。祭囃子の締太鼓パートの演習を行い、二時間半の間に締太鼓で一っ囃子打てるようになってしまった。恐ろしい集中力である。
午後は講師の体験談を交えながら、歌舞伎の文化背景も含めた説明を行い、舞台での様々な音作りを実演した。参加者は太鼓に限らず日本の古典芸能の理解にも積極的で、色々な質問を投げかけていた。
 今回の助六太鼓創始者訪問については、有り難いことに、会期中たくさんの方からレクチャー/デモンストレーションへの讃辞やワークショップへの謝辞をいただき、しっかりとした手ごたえを感じた。また、参加者やスタッフのアンケート回答を見ると、北米和太鼓の歴史上希少な意義深い機会であった、参加者にとって一番大きな収穫であった、今後もワークショップ指導や演奏などで訪米してほしい…と紙をめくる毎に同様のコメントが目に飛び込んで来た。
 最終日の夜、一行は市内にある2千人以上収容の立派なホールで、地元の太鼓グループを始め4団体の出演するコンサートを鑑賞した。前夜田中氏主催の夕食でご一緒したメンバーが、和やかに談笑していた姿とはうって変わって「太鼓打ち」のきりりとした表情で登場。いずれの楽曲も創意工夫とエネルギーに満ちていて、観客との一体感は、和太鼓が日本を離れすっかりこの国に定着してきていること、そしてさらに独自の色と薫りを持つに至っていることをひしと感じさせるものであった。
訪米を終えてのお二人の感想から…
・宗家小林…アメリカの太鼓打ちの純粋に太鼓に向かう姿、熱心な態度、吸収するものに飢えているどん欲さ、ねばり強さ、それらには本当に感心した。日本に欠けてきているものをまだまだ持っているように感じた。今回、旧友と一緒に訪米し、旧知の仲間と共に演奏でき、心地よい時間を過ごさせてもらえたことに本当に感謝している。
・望月左武郎氏…1968年の訪米後自分はすぐ邦楽の世界に入ってしまい、まさに40年ぶりに振り返ってみると、あれよという間に孫弟子ひ孫弟子という太鼓打ちが北米に生まれていた。自分は種を蒔いたかもしれないけれど、ここまでになったのは田中誠一氏の尽力と和太鼓関係者の熱意に他ならない。改めて深い感慨を受けた。今後私ができることがあったら何か貢献したいと思っている。

 

 


大江戸助六流ワークショップにて

 


 大江戸助六太鼓の事務所には、帰国して3ヶ月あまり経った今も、海外からの問合せが毎週のように入ってくる。10月には会議にも参加していたカナダの「北の太鼓」が稽古場を訪れ、ワークショップを行った。直接訪問したことの成果が直接交流の形となって現れているのは嬉しい限りだ。全米に三百近くあるといわれている和太鼓グループだが、世界各国では想像もつかない増加を見せている。助六流が太平洋を渡って来年で40周年だ。古典芸能から見たらほんの赤子の時代ではあるが、和太鼓の歴史は現在(いま)着実に作られている。小林のように、和太鼓界の生き字引のような世代が第一線で演奏し続けることの意義は計りしれない。和太鼓音楽の啓蒙普及活動には精神的にも経済的にもエネルギーが必要だが、意地と自負そして愛情をもって地道に続けていくべきではと考える。

 最後になってしまいましたが、今回の訪問が成功裡に終えられたのは、ひとえに田中誠一氏、ケニー遠藤氏を始めとする助六太鼓関係者そして、ジョニー森氏と北米太鼓会議のスタッフなど、みなさんのご尽力と心のこもった対応そして太鼓魂のお陰です。改めて心より御礼申し上げます。ありがとうございました。(文責 座古瑞穂)

 




宗家、望月左武郎氏、田中誠一 貴重なワンショット

夕食会にて

 


充実した四日間の記念に参加者が大集合


 

 

 

 

 

 



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